最近の研究

細胞の非平衡レオロジー

生きた細胞内部の非平衡レオロジーを直接測定する方法を開発
 わたしたちの研究グループは、これまで困難であった生きた細胞内部のレオロジー的性質(硬さ、ねばっこさや、発生する力の大きさ)の測定を可能にしました。レオロジーは物質が持つ最も基礎的な性質であり、工業製品やハイテク機器の性能・機能や耐久性を評価する際には必ず計測されます。したがって、私たちの体の基本的な構成単位である細胞の性能や機能を評価するためにも、当然計測することが望まれてきた物性量でした。しかしながら、普通の細胞は大きさが高々10μm ほどしかありません。しかもその内部の物質は、分子サイズのモーターにより激しくかき乱され、一定の状態にとどまることもありません。このように微小で活発な細胞内部環境のレオロジー的性質を計測することは極めて難しく、これまでは、細胞の表面を外側から引っ掻いて細胞膜近辺を調べることしかできませんでした。細胞“内部”の性質を計測できないことは、細胞の振る舞いに不明な点が多く残る一つの原因となっています。
 そこでわたしたちは、生きた細胞の中に小さな粒子を撃ち込み、その粒子の外場に対する応答や揺らぎを精密に観測することを試みました。生きた細胞内部では激しい細胞質流動が生じていますが、Feedback 制御を用いて細胞質流動に伴う粒子の動きを時々刻々補正することで、細胞内部の粒子の位置を常にナノメートル以下の精度で検出できる測定システムを開発しました(参考図1)。細胞内部に撃ち込んだ粒子は、主に細胞によって動かされています。従って粒子が大きく揺らぐからといって、細胞が柔らかい、あるいは、さらさらであるとは言えません(それが言えるのは死んでいる細胞の場合だけ)。そのために、細胞内部の粒子にレーザーで力を与えたときの応答から、細胞のレオロジー的性質を求めました。また、揺らぎとレオロジー的性質(応答)を同時に測定すれば、揺動散逸定理の破れとして細胞が生み出している力の強さや活きの良さも分かります(参考図2)。
 開発された測定手法によって細胞内部のレオロジー測定が可能になったことで、物性物理学、細胞生物学、医学等の幅広い分野での研究の発展に貢献することが期待されています。詳しくは解説記事原著論文を参考にしてください。

 

 

アクティブガラスとしての細胞質

内部の混み合い・かき混ぜの影響が活きた細胞と抽出液のちがいを生む

 わたしたちは、生きた細胞と細胞から取り出された中身 (細胞抽出液) の粘弾性を測定し、両者の違いを生み出す原因が細胞内部の混み合った状態を掻きまぜる力にあることを明らかにしました。
 細胞は、必要に応じてその力学的性質を変化させて、多彩な機能を果たします。ガラスやゲル等の単なる “モノ”の性質を変えるには、その物質や構造を作り換えることが必要ですが、 細胞のような生き物のダイナミックな柔軟性・順応性を説明するためには、もっと容易にその性質を変えられる仕組みが必要です。ダイナミックに変化する細胞の中身はとても 混み合って いて、さらに、モータータンパク質が生み出す力によって掻き乱されています。したがって、混み合いや掻きまぜによって、細胞の力学的な性質が大きく変化するのであれば、そこに “モノ”とは異なる “生き物らしさ”が生まれる可能性があります。そこで、混み合いと掻きまぜの影響を調整した試料の力学的性質を比較検討して、生き物らしい性質が生まれる仕組みを明らかにしました (参考図3)。
 まず、細胞の膜を壊して中身だけを取り出した細胞抽出液を用意し、掻きまぜの影響を除去した状態で、この細胞抽出液に含まれる中身の濃度を変化させながら力学的性質を測定しました。すると、わずかな濃度の増加で粘性率が急激に上昇(発散)し、固化することが分かりました。驚くことに、抽出された細胞の種類に依らずにヒトもバクテリアも卵細胞も組織細胞も同じように変化して、生きた細胞内の濃度(300mg/ml)よりも低い濃度で固化することも分かりました。生きた細胞も抽出液のように固まってしまうと、細胞内部で必要な物質を合成して、必要なところに送ることが出来なくなります。そこで、中身の濃度を変化させながら生きた細胞の力学的な性質を計測して、生きた細胞も本当に固まってしまっているのか調べました。抽出液と内容物は全く同じであるにもかかわらず、抽出液とは異なり、生きた細胞内部は流動性を保っていました。また、中身の濃度と粘性率の間の関係性も細胞抽出液とは全く違いました。これを詳しく解析した結果、生きた細胞と抽出液の違いを生み出す原因が、細胞内部の掻きまぜにあることが分かりました。
 これまで細胞が働く仕組みを調べる際に、混み合いや掻きまぜの影響は殆ど考慮されて来ませんでした。細胞や組織の力学的性質は、癌の悪性化や胚発生・幹細胞分化等の様々な病理・生理現象に影響を与えます。これらの細胞における混み合いや掻きまぜ効果をさらに研究することで、将来的には幅広い分野に貢献する基礎的な知見が得られると期待されます。詳しくは原著論文を参考にしてください。

 

 

非ガウス揺らぎのダイナミクス

 均質な連続体としての近似が可能である平衡系の物理量の揺らぎを考えましょう。微視的・巨視的スケールの中間であるメソスケールでは観測量の揺らぎを計測することができて、その分布はガウスになるはずです。しかしながら、現実に観測されるメソスケールの揺らぎは必ずしもガウス分布を示しません。特に、乱流、ガラス、細胞、遊走微生物懸濁液(アクティブマター)等の様々な非平衡系では、著しく非ガウスな揺らぎが観測されます(参考文献1, 参考文献2)。その起源が明らかになれば、非ガウス分布の形状とその時間発展を解析することで、非平衡系の性質や振る舞いに関する理解を深めることが出来ると期待されます。そのためには、観測量のガウス分布への収束を期待する統計学の基礎的定理(中心極限定理)を踏まえつつ、熱平衡の範疇には収まらない系の揺らぎを定量的に記述する新たな理論的枠組みが必要です。我々は現在下記のコンセプトに基づいてこれを構築しています。
 自然界は重力、静電気力、流体力学場、等々のべき的に減衰する相互作用で満ち溢れています。例えば多数の恒星からの重力相互作用、あるいは、多数の遊走微生物からの流体力学的な相互作用の和を観測することを考えましょう。重力相互作用も、(この場合の)流体力学的な相互作用も、どちらも距離の2乗に従って減衰します。その場合個々の相互作用を単純に数学的に足し合わせたときの統計分布は、個々の相互作用の分散が有限である時にはガウス分布に、分布の裾野がべき的に広がり発散する場合にはレビ分布と呼ばれる安定分布に収束することが期待されます(中心極限定理)。しかしながら、3次元空間中にべき的な相互作用を引き起こす揺らぎの源が乱雑に分散している場合、新しい極限分布の特性関数(分布関数のフーリエ変換)の解析的な表現は、

のように与えられることを示しました。
 詳細は省きますが、この新しい極限分布は、系の特徴的なサイズ(R)と相互作用源の濃度(c )、および、相互作用の強さを表す尺度(γ)により表現されており、既知の極限分布であるガウスとレビの間を連続的に接続することが分かっています(ただし、任意の空間次元で同じことが言えるわけではない)。我々は、この新しい非ガウス分布の解析的表現が、現実系(遊走微生物懸濁液やアクチン/ミオシンゲル、ガラス、乱流)で観測される非平衡揺らぎを定量的に説明することを、実験・理論および数値シミュレーションを用いて明らかにしているところです。しかも、時間的に変化する相互作用源の動力学も取り込めると考えており、今後の研究の進展を楽しみにしています。詳しくは、原著論文を参考にしてください。

 

生体分子機械の揺らぎとエネルギー量論山口大学有賀隆行博士との共同研究

 高速フィードバック制御を組み込んだ 光ピンセット装置を使って、 歩行型の生体分子モーター「キネシン」の1分子レベルのエネルギーの入出力を実験的に明らかにしました。数理 モデルと理論計算を通じて、キネシンに入力された化学エネルギーの大半が、荷物を運ぶエネルギーとしては使われずに、分子の内部から熱として散逸していくことがわかりました。詳しくは、解説記事原著論文を参考にしてください。
 生体分子 分子モーターのキネシンが、細胞内環境を模倣した人工的にゆらぐ力を加えることによって加速する現象を発見しました。特に負荷が高いときに早く なる 傾向から、細胞内のような混雑して粘性の高い環境に適応している可能性があります。 細つまり、胞内でみられる非熱的なゆらぎは単なるノイズではなく、さまざまな生理的機能を促進するために積極的に利用されているのかもしれません(原著論文)。

 

 

交換チャンバーを用いた非平衡力学研究

 生きた細胞内部では、代謝活動する生体分子が生み出すダイナミクスによって力学環境が決定されていると考えられている。近年では、生きた細胞内部はその代謝活動により、生体分子の混み合いによるガラス状態から逸脱して流動化していることが明らかになりつつある。そこで、代謝活動が細胞内部のダイナミクスをどのように決定しているのか?流動化を生み出す分子的実体は何なのか?が問題となっている。しかしながら、生きた細胞内部の力学環境や代謝活動を選択的に制御すると、細胞は恒常性によりフィードバックな応答をするためにメカニズムの詳細を調べることが難しい。そこで、代謝や生体分子濃度制御を行いやすい、生きた細胞から中身を取り出した細胞抽出液に代謝活動を導入した研究を行っている。一方で、生理活性物質の供給がない、一般的な閉鎖系では、長時間の計測が必要なマイクロレオロジー計測の最中に代謝活動が停滞してしまう。そこで、半透膜による生理活性物質の供給・代謝生成物の排出が可能な交換チャンバーを開発した。この実験系を用いて、細胞内部の代謝活動が力学環境に与える影響を調べている (Figure 1)。また、細胞内部モデルとして濃厚大腸菌懸濁液を用いた研究も行っている。大腸菌の場合も同様に、交換チャンバーを用いて培地の供給・代謝生成物の排出を行うことで、長時間遊走能を保った非平衡系のマイクロレオロジー計測を行っている (Figure 2)。

 

交換チャンバーの有用性を示す例として、濃厚大腸菌懸濁液を簡単に紹介する。大腸菌が非常に密に分散している場合、閉鎖系であればものの数分で遊走が止まってしまう。一方で、交換チャンバーを用いた場合では、大腸菌の乱流挙動が数時間確認できた (Movie 1, 2)。高濃度領域で確認される乱流挙動は、大腸菌の遊走能が弱まるとすぐに見れなくなるため、交換チャンバーの効能がよく確認できる。

 

Movie1: 長時間持続するバクテリア乱流

 

Movie2: バクテリア乱流(Movie1)の速度場

 

 

光てこを用いたマイクロレオロジー計測

 高分子ゲルなどのネットワークの力学特性をマイクロレオロジー計測する為には、ゲルの架橋点間距離よりも大きなスケールの計測粒子を用いる必要がある。しかしながらレーザー干渉法を用いたマイクロレオロジー計測の場合、レーザー波長よりも計測用粒子径が大きな幾何光学領域では、レーザーの計測感度が下がり、計測精度が低下する。そこで、光てこを用いることで、計測用コロイド粒子径の増大による計測感度低下を抑えた光学系を設計している [Figure 3, Figure 4 (原理)]。また、補償光学を組み込むことで、光学的に不均一な試料下での高い計測感度の実現化も目指している。

 

 

せん断応力下での濃厚コロイド懸濁液のマイクロレオロジー計測

 ガラス系にマクロなずり場を印加し、マクロな応答を計測すると、その応力に対して非線形に粘性率が変化することが広く知られている。しかしながら、その詳細なメカニズムは未だに解明されていない。本研究室では、マクロなせん断応力を加えた際の、構成粒子スケールでの力学応答を計測することで、非線形ダイナミクスのメカニズムの解明を目指している (Figure 4)。また、光トラップによって、ミクロに力を印加した場合のミクロな力学応答の計測も行っており、両者での非線形ダイナミクスの比較等も行っている。

 

その他の資料