細胞内における「ゆらぎ」と「構造」の結合が生み出す生命らしさ
生命の最小単位である細胞の内部は、エネルギーの消費や物質の輸送が絶えず行われる非平衡環境にあります。こうした環境では、単なる熱的な揺らぎ(熱ノイズ)ではなく、代謝活動に起因する非熱的な「非平衡ゆらぎ」が継続的に生じています。細胞内部には、酵素やモータータンパク質のような生体分子機械、小器官、さらには液滴のような微小構造が存在しており、それらがナノからマイクロメートルスケール(メソスケール)で、流動し、変形し、ときに相互作用しながら、複雑で動的な「構造」を形成しています。これらの構造は、乱流やカオスのように時空間的に絶えず変化し、その中で生命活動が営まれているのです。このように、「ゆらぎ」と「構造」がメソスケールで密接に結びついた非平衡状態こそが、生命に特有のダイナミズムを支えており、人工的に再現することが非常に困難な「生きている」状態の本質的な特徴といえます。このことは、物質に生命が宿るとはどういうことかを考える上で、非常に重要なヒントを与えてくれます。
複雑系としての生命とソフトマター物理学の融合
生命を「複雑系」として理解しようとする試みは、現代物理学の大きなテーマの一つです。生命とは、個々の構成要素(分子・細胞)と全体(個体・組織)が相互に影響し合う動的なシステムであり、その中で複製・適応・発生・進化といった現象が生じています。 こうした現象は、要素を単純に分解して分析する従来の「還元主義的アプローチ」だけでは十分に理解できないことが明らかになってきました。そこで必要となるのが、生命全体を構造とダイナミクスの観点から扱う複雑系生命科学という視点です。 加えて、生物はその大部分がゲル・コロイド・エマルジョン・ガラス状物質などのソフトマター(柔らかい分子集合体)からできており、細胞内ではこれらが非平衡環境下で混ざり合い、競合しながら存在しています。生きものとしての細胞に特徴的な物性や振る舞いを理解するためには、複雑系生命科学の考え方を生体物質の物性物理学:ソフトマター物理学によって基礎づける必要があります。
メソスケール物性を測るための実験技術と展開
これまで、「生命とは何か」「生命らしさはどこから来るのか」といった問いに対しては理念的な議論が先行し、実験的な裏付けが不十分でした。しかし、非平衡・非線形物理学の進展に加え、メソスケールにおける分子操作や遺伝子操作などの最先端技術が登場したことで、こうした問いに対する定量的なアプローチが可能になりつつあります。 私たちの研究グループでは、これらの技術を積極的に活用しつつ、さらに独自の先端的な測定技術も開発しています。生きた細胞内で起こるソフトマターの物理的性質や、代謝によって駆動される非平衡ダイナミクスを、ナノ~マイクロスケールの観点から調べることで、生命現象の本質に迫ろうとしています。特に最近では、代謝活動を人工的に操作できる細胞モデル系を構築し、それを使ってゾル―ゲル転移(流動性からゲル化への転移) 液体―ガラス転移 相分離現象(液滴形成など)のような物理現象の代謝依存的な調節機構を明らかにしようとしています。
このように、ソフトマター物理学と複雑系生命科学の融合によって、生命が持つ独自の物理的性質や「生きている」ことの本質に迫ることができると考えています。詳細については、「最近の研究」ページや、別途わかりやすくまとめた資料をご覧ください。